ソフトにともに抗う
地震列島の日本では、どこでも今回の能登半島地震のような状況に陥ると考えて良い。自然災害と隣り合わせで暮らしていることを自覚したい。大きな災害の後は意識が高まるが、しばらくすると忘れてしまいがちなのが悲しい。コロナ禍の3年で、水道水を飲める訓練も必要になったと聞く。マイボトルの普及は水を飲めない子を産みだしたようだ。これでは生きていけない。生命を維持するためにはぜひ必要な訓練だ。自販機もダメ、家の浄水器もダメなのが災害時である。それに耐えて生き抜けないのでは未来はない。
いつ起こるかわからないが、「有事に備える」が現代型の対応である。備えが必要なのに、心構えが不足して他人事にしてしまう。現代人は私も含めて本当にもろい砂の上にくらすキリギリスの集団だと思う。地震や台風について昔はなかったのかと考えると、構えの発想が違っていたのでは?と考えてしまう。明治時代になり、外国の人が日本の家屋、生活の貧弱さを指摘した。文明開化と西洋の考えを積極的に取り入れて、その価値観をよしとした。「自然を制し、人間の幸福を追求する」の考え方に基づき、改良に改良を重ねた。100年もかけて、人間本位の生活を作り上げた。自然を制したつもりで暮らしている。
家屋、生活の簡素さこそ、自然災害と隣り合わせを意識したものではなかったか。つまり、壊される、被害を受けることを前提に生活している。大規模な自然災害に耐えられる想定した家つくり、町つくりとは基本違う発想である。着るもの、食べ物、なんでも必要なだけ、タンス一つで十分、使ったものはリサイクルするが当たり前に存在していた。今の生活はどうなのだろうか。リサイクルできない家財道具に囲まれている生活は災害ゴミを見ると一目瞭然だ。
日本的なエコはたぶん、木、紙、布であれば、自然にかえるし、燃えてなくなるし、また、再利用して使える。ものの循環が前提だった。つまりソフトに生きていく社会だったのである。もちろん、断熱作用はないので、暑さ、寒さに快適ではない。それこれも工夫すればしのげる。万に一つ、災害に遭遇したら、着の身着のまま逃げ出せば良い。すべてにおいてソフト対応である
どんなにしても暮らせる庵型思想である。もちろん、権力の象徴である城に殿様は住んではいたが、庶民はどこでも住めるアリの集団だった。キリギリスは有事の時だけ助け合おうとするが、アリたちはかねてから絆が強い。日本的な発想を取り入れた、自然に帰る材料での家、街つくり、必要な家財道具、水や食料の備蓄などを今一度考えてみたい。そして、災害と隣り合わせより仲間と隣り合わせでありたい。高度情報化社会は、すぐに5.0が-1.0になる。その時こそ隣人と本音で語り、助け合うことで、立ち直りたい。「ともに抗(あらが)う」を忘れてはいけない。