キャッチコピ-
「曲がり角の期待」と赤毛のアンに出てくる言葉を終業式で語った。自分で使いながら、「25歳はお肌の曲がり角」という化粧品のキャッチコピ-をなつかしく思い出した。今思えば少し罪作りな言い方ではないだろうか。道が交差すれば、当然、曲がり角はできる。自分の進路にあわせて、直進もあるし、右折、左折することもある。この言い方で、「賞味期限切れはダメ」とか、「クリスマスケ-キは25日まで」とか、消費を促す立場でこれこそ正解のような考え方が広まってきたのではなかろうか。曲がり角からの連想と、「賞味や消費期限」とは違うので、2,3日でダメだとは言えないはずだ。もちろん、種類にもよるが、食べるには問題ない。クリスマスケ-キはそれとわかるようなデコレ-ションをしてあるケ-キと考えれば、食べることに関しては「26日」でも問題なくおいしい。言葉の創り出すイメ-ジに踊らされ、食欲までもコントロ-ルされる。実に怖い話で、おいしいものさえ、のどを通らなくなる。
古くは○○の三種の神器だの新御三家があった。さらに「昭和の」という修飾語をつけただけでおかしなフレ-ズも生まれた。「昭和家電」「昭和レトロ」の定義は実に難しい。共通認識はかなり違ったものになっているはずだ。だじゃれ的に「きっと勝つ」のイメ-ジ戦略を展開するチョコレ-ト菓子もある。この流れなら無理なく、「本校生徒の将来は輝くに違いない」、本校の校名は「行く栄冠」だと言いたい。まさしく、昭和ジョ-クに分類されそうだ。
さて、曲がり角に話をもどすと、「峠」や「マイルストン」、「曲がり角」は人生を語るにとても必要な言葉である。「人生の岐路に立つ」時にこれらの言葉を聞き、感動した人も多いことだろう。見えない、分からないから楽しみであり、どこまで来たのか、どこまで行こうかを想像させる夢ある話になる。「垣根の垣根の曲がり角、たき火だ、たき火だ、落ち葉焚き」という歌もあった。燃やすことがご禁制だから、この楽しみはもう説明できない。寒い学校の帰り道、わが家までもう少し、かじかんだ手や足を温めて、もうひとがんばり。たき火の煙にも楽しさがわく。冬はたき火がごちそうだ。暖まったら元気に帰ろう。古き良き時代の子供の笑顔が浮かんでくる。こんな曲がり角はもう存在しない。
化粧品コマ-シャルは、お肌の水分量や脂質コントロ-ルなど科学的な話をあげて、美にこだわる心理に働きかける。それで「25歳はお肌の曲がり角」も定着したのだろうか。個人差はあるが、そろそろケアが必要だの話だ。このコピ-には、若さをキ-プする思いがあった。いくつになっても肌つやつや、100歳までも生きようとする今なら、曲がり角も「まだ見えないからそこにある楽しさや喜びや出会える人たちのことを考えて、わくわくするの」と変えてみてよさそうだ。今年もいくつかある曲がり角をアンのようにワクワク・ドキドキで迎えたい。