褒める人褒められる人
褒める話を子育てや家庭教育で語るとき、ほめるには直接ほめと間接ほめがあると感じている。どのほめ方でも相手をよく観察することが大事だ。直接褒めるためには、場面や程度をできるだけ明確にしたい。また、目標達成や満足度なども具体的なほめには必要である。「半分はバッチリ」とか、「もうひと頑張り」で次の目標がわかる。「あそこで1点入れたのは見事だったね」も「君のパスがあったからの追加点だね」も実によく伝わるほめである。
一方、間接褒めは相手に伝わることが大事である。言葉選びはさらに慎重にならざるをえない。相手が理解できるたとえ話にしないのではなかなか伝わりにくい。比喩表現の直喩と隠喩のようなものである。同名のタイトルでNHKの夜ドラでやっていたが、実におもしろかった。お茶を入れるのが上手とほめるのに千利休とたとえ、いろいろな仕事がこなすことを千手観音と表現している。もちろん、褒められる側が千利休や先手観音をしっかりとわかることが大切なのだが、実におもしろいほめ方である。
ほめるは可能性を伸ばすためであり、しかるは現状への復帰を促すためである。「褒めると叱る」の違いはものの本によくこう書かれている。しかし、褒めるも叱るもむずかしい。だれもが褒められたい人に褒めてほしいという心理がある。褒めの受け止め方が褒める人によってかわるというのが、問題である。この人になら褒めてほしいという信頼関係がベースにある。
このドラマで、「褒められる人、褒める人、例えるもの」というカードゲームが出てきた。なかなかおもしろい発想である。褒めるトレーニングには最適だ。実際、学級でやってもよいだろう。褒めるはやる気の熱量をあげることでもある。褒められていやな人はいない。褒めるがもつ効果は、自己肯定感を高める承認や認証である。自分の存在価値を認めてもらうと人はやる気が出る。
頭をなでられるとうれしくなるのは、幼いころ、そうやって声をかけられ褒められた記憶の想起である。こういう褒め方はいつでも通用する。そう考えると、褒める人になることは、組織の活性化に必要だ。褒める仕事を自慢したい。いい所を見つける人は組織には必要だ。そういえば、フーテンの寅さんも釣りバカのハマちゃんも、人をけなすより褒めることが多かった。まあ、褒めの比喩の部分で誤解が生じたり、ケンカになったりは映画の筋だと割り引くことにしよう。褒めの隠喩は人によって変わるから実に個性豊かになる可能性をもっている。朝ドラ「らんまん」で、寿恵子さんは笹のような人と万太郎がほめていた。「笹は節が成長するので伸びがすごい。どこでも根をはる。生命力はすごい」と具体的な話が続く。植物研究者ならではの見事なたとえである。こんな褒め方はうれしい。笹の漢字を見るたび、その植物を見るたびに思い出すだろう。褒めるの技はこうありたい。