わかりやすい夏休み
「朝は10時まで勉強、夏休みの友が終わってから‥」と夏休みに入る前、先生はおきまりの注意をした。もちろん、小学校のころの話だ。実にわかりやすい夏休みだった。10時からの時間は夕方、日の落ちるまでこちらのものと主張できた。捕虫網と虫かごをもつと、家を飛び出していった。収穫があると、昼ごはん食べにきちんともどり、「きまり」にあるように、「昼寝」をして、そして、「自由研究」へと取りかかる。どんぐりを胴体にしたやじろべえつくりや石けんを削っての石けん水の濃さ(濃度)の研究にチャレンジする。9月始めには提出して、夏休みの賞に関わるので、自然と力が入る。しかし、あきるのも早く、また、日が沈むまでの時間、網とかごをもって、再チャレンジである。
そんな夏休みは実に楽しかった。毎年配布された「友」は、夏休みの学習を立体的に説明したコンパスがわりの課題帳だった。内容は、歴史や偉人について書かれた読み物や工作、そして、生活リズムつくりや学習方法などが載っていた。子どもは純粋に夏休みを楽しみたい。そのために大人から求められるノルマは果たしておきたい。そう考えたとき、「友」は都合の良い道具だった。
「友の今日の分は終わったの?」の母親の声に「すんだよ」で、無罪放免。その後は、テレビをつけてウオルトディズニ-の顔をながめても邪魔は入らない。ひげのおじさんはミッキ-を横に、アフリカにすむ動物の生態を取り上げたドキュメントドラマを面白く語り出す。アイスを食べながら、トイレも忘れ、テレビに釘付け、アフリカ探検に行ったきりだ。「友」さえ終われば、夏休みはこちらのもの、学校では味わえない、いろいろな楽しみと出会うことができた。
「いつでも、どこでも、だれでも」の合い言葉で、「学び」はより手軽いものに思えた。しかし、学び方は本人が学び取らないといけない。本来は教えてもらえないものなのだろう。学ぶ機会は確かに増えたが、学び方がわからないのではしかたない。これは一人一人違うからしかたない。「はい、学んで」でも学べないし、時間をたっぷりあげるから「はい、学んで」はなおさら大変だ。基本的な学び型を例示して、時間をかけてやらせるのが学校である。それを自分なりにやってみて、合うかどうかがわかる。試行錯誤する時間を保障することが大切なのだ。その点、夏休みは最高の時間だ。夏休みは主体的に学ぶよいチャンスなのである。その意味で、わかりやすい夏休みを提案してほしい。
これだけ、IPADを使いこなす生徒たちの「友」は、どんなものなのだろう。クラッシ-にあるコンテンツを見て、感想をまとめ、先生へメ-ルする。そんな宿題もありなのだろうか。推しコンテンツ一覧をつくり、見て楽しめるメニュ-を作らせてみたい。自作の夏休みの学習帳?をIPADの中に作り出すに違いない。令和の夏休みはどきどきのおもしろさでいっぱいだ。