受験モ-ド 意識する時間として
「いよいよ受験モ-ドだ」はいつごろから真実味をおびてくるのだろうか。人には時間概念があるので、行事や自然の推移から、未来の時間が感じられる。ところが、よく考えてみると、経験した人は9月~2月までの時間がどう過ぎていくかを知っている。しかし初心者にはわかるはずもなく、予想すらつかない。受験当日が確実にやってくることは想像できるのだが‥。そう考えると、この言葉で同じ概念は形成できていないことになる。
旅行の時、往路の目的地までが遠い。なかなかたどり着かない。この時間経過では、目的地での楽しい体験をするまでの時間が長い。ところが、出発地へもどる、帰る時間となると、行きの時間よりも短く感じてしまうのはなぜだろうか。どうも、経験には時間を短縮してしまう働きがあるようだ。経験があればあるほど時間は短縮される。受験モ-ドの話を持ち出す教師は、もう時間がないと感じる。生徒はその感覚を共有できないし、想像がつかない。そこで、やる気が出ないのは当たり前である。モチベを高めるなら、教師と同じ感覚を持たせてやるのが一番の近道のようだ。体験談や体験記で追体験させることだ。
歌詞ではないが、「夏から秋への不思議な旅です。」はこの時間経緯の不思議さを言っているのかも知れない。また、名歌「秋来ぬと目にはさやかに見えねども…」にある秋を感じる感覚もこれに似ている。「自然の変化から季節を感じる」や、「行事を通して時の過ぎる早さの実感」、この2つに触れると、時間の存在と向き合うことになる。ここまで来て、本当にモ-ドが切り替わっていく。受験にむけての時間も感覚も特別なモ-ドである。
時間のものさしをあてて考えると、「成功」も「失敗」も時間経過後に表れる現象と言える。「過程」にこそ価値を見出すのであれば、取り組む自分をよく生きていると評価すべきである。この評価で思い当たるのは、「走れ メロス」のメロスである。最後の刑場へ走っているメロスは「間に合う、合わぬは問題でない」と言っている。問題解決過程を評価している。「今を精いっぱい生きる」という美学こそがメロスの人生そのものであるといってもよい。「走る自分にこそ価値がある」とメロス自身は自己評価してきた。古今、これに共感する人が多いので、「走れ メロス」は色あせない作品として存在するのだろうか。
ここで、再度、受験モ-ドとは何かを考えてみたい。受験に向けて、何もかも乗り越えて前に進むこと。それが受験モ-ドである。合格、不合格はその後の問題で、今はここ6ケ月の時の流れをどう生きるかとなるだろう。目的意識をしっかりもてば、自分にとっての優先順位が決まる。人生のある時期、ある期間、目標達成に向けてがむしゃらでもよいではないか。その期間が今スタ-トという話である。受験は団体戦、一人でなくみんなで戦うという感覚が大切である。それで、継続できない弱さ、結果を気にする恐れというマイナス意識を排除することができる。だれもが悩み、迷う中で励まし合う関係こそ大切だ。また、この時期にそうやっていっしょにがんばることが将来の人間力育成にも繋がる。この人間界で生きるためには、時間と上手に付き合うことも大切だ。時の過ぎゆくままでなく、○○モ-ドと意識して自分の時間を自分なりに過ごしていくとしたい。