読書三昧
情報時代を生きているのには、「本を読む楽しみ」とは悠長なことだとおしかりを受けそうだ。しかし、読書はいろいろな形を経験してこそ本物になる。「積読(つんどく)」という読書方法がある。そこに積んであると読みたい時にすぐに読める。上になる本ほど面白いと発見できるらしい。ものぐさな人のいいわけだろうが、おもしろい読み方もあるものだ。このように読書は思い思いのスタイルがあり、自分に合うようにアレンジできるので、楽しいと言いたい。
「平行読み」というのもある。ジャンルの違う本を2冊以上、同時に読み進めるという読書法だ。これはやってみると面白い。脳内で相互作用が起きるのも実感できる。ケ-タイ小説を忙しく読むのもよいが、時間をたっぷり使い、じっくりと文字を追うのもよい。ぜいたくな時間に思えるし、なんか偉くなったような気もする。映画化された小説は、時間がある時に、原作をじっくり読むのも一つの楽しみだ。配役、背景、小道具など、読み出す前に映画を見ているからこそ、自分のイメ-ジと違う部分をあれこれと楽しめる。
倍速でドラマを楽しむ世代なら、「寄り道で読書をする」にも面白さを見出すかも知れない。とにかく、読書での行きつ、戻りつを経験すると楽しい。知らない人物や地名や歴史とあれこれ調べて、寄り道してみるのも楽しい。「奥の細道」の「象潟」なんて、土地が隆起して今はない。ヘディンの「さまよえる湖」で有名な「ロプノ-ル」も同じく消失している。原因や理由まで調べ出すと次々と新しい情報と出会う、自分の興味・関心の広がりを感じるのが楽しい。
作者の引用は正しいのか、根拠としている事実は本当かと考えても良いし、作品の下に敷かれた思想やイデオロギ-を掘ってみるのも楽しい。プラスアルファ-読みである。国語の世界でも、理系的な表現は大いに気になるところである。「天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出し月かも」は、唐から帰る仲麻呂が海岸での送別会で呼んだとされている。中国の海岸で眺めた月と三笠山の月が似ているという意味だが、どのくらい似ているのかを調べてみたい。山の端から登る月と海から登る月はどう似かようのだろうか。
近頃は、那須与一の「扇の的」を徹底検証する本を読んだ。実際の情景を科学的に分析すれば、表現の工夫も明確になるようだ。事実と脚色、なぜそうなるのかを裏付ける試みに感動する。本の世界の奥行きを知れば知るほど、読書好きにはたまらない。アニメの舞台を「聖地」と呼ぶらしい。この聖地巡礼も新しい読みの世界だ。本編を楽しんだ後、旅行で追体験できる絶好の読みである。このような積極的、能動的な読書は新しい感覚、価値観の基になる。屋久島、鞆の浦は、「もののけ姫」や「ポニョ」の存在を身近に感じさせる世界遺産だ。いや、聖地だ。情報時代だからこそ、生徒たちにもいろいろな読みにチャレンジさせたい。