新しいもので生きる
最近、「レトロ」と「ニュ-」をあわせた「ニュ-トロ」という言葉を聞いた。
若者が今の新しい感覚で昔のアイテムや景色を楽しむというものらしい。韓国での流行がニュ-スに取り上げられていた。工場の跡地(建物はそのまま)に内装を工夫した最先端のおしゃれな店が作られる。入店してみると、もともと工場だから、天井が高いとか、むき出しの鉄骨だとか、それらを活かした奇抜な店舗になるので、見た目も面白い。もちろん、建物はそのままで、昔ながらのレンガつくりの中庭も残っている。これが斬新でインスタ映えするらしい。インフルエンザとコロナのミックスで「フルロナ」も話題になった。これにかかるとかなりやっかいで重症化するようだ。インフルエンザが2、3年流行しなかった分、免疫がない人が増えたことも原因らしい。言葉からも警戒するのは当たり前だが、こちらは聞くだけでも不気味である。
新しい概念を得るために、新しい言葉を学んでいくのが「学び直し」である。公民館講座の開校式では、社会教育関係の方が必ず話される。そして、「学ぶ人はいつまでも若い」と付け加えられる。なるほどうまいことをいうなあと感心してしまう。なぜ学ぶ人が若いのかは、このニュ-トロを考えてみればよくわかる。外観は変わりようがないが、中身には新しいものが入るので、古さを感じないということなのだろう。時代の変化に応じて、本当に生きぬくためにも中身を新しくする学び直しが必要になるに違いない。
このスマホ主流の世界を生きるのにも苦労したが、新車の機器を使いこなすのに本当に悪戦苦闘している。新しいナビゲ-ションシステムに「電話して、案内して」といろいろと語りかけた。その結果、ク-ラ-設定はできるようになった。マニュアルを熟読しても、今ひとつ、ブル-トゥ-スがわからない。スマホのソフトをナビで操作できるという話の部分だ。ここまで来ると、ナビとスマホが一体化するのは間違いない。機能を十分に発揮させるために、この知識の習得は必要だ。ここで「スマホの操作ができない」では、すまされない。つくづく、人間にもニュ-トロが必要だ。入れ物は昭和でも、中身は令和でありたい。そのためには、使えるものはフルに使い、合わないところは勘弁してもらう。または別の物で置き換えるなどして、令和の世でも生きぬいてやろうと挑戦することが必要だ。世の中はなぜか「シン」ばやり、シンがカタカナなのが意味深でもある。ウルトラマンがなぜしゃべらないのかを新しく解釈すれば、シンを変換して「信」じられているとでもしますか。地球人を愛し、地球人とともにあろうと宇宙から来た友人だから、信・ウルトラマンなのでしょう。学び直しも、「新」や「信」だけでもない「シン」なのかもしれません。
ジュワッチ(ウルトラマンの飛び立つ音?かけ声?)