きばっど 「為せば成る」の話 R4.3.15
為す勇気の出ない人は「為せば成る」を少し楽にとらえても良いと思う。鹿児島には「泣こかい とぼかい 泣こよか ひっとべ」という言葉がある。勇気を出して物事にあたれという意味だ。「びびるな」と教えていると考えられる。簡単にいかない、手強い問題解決には慎重な対応も必要だろうが、問題の大小でなく「やろう」というかまえが大切であるという話だ。取り組む姿勢の問題として言われている。ただし、これは直情激昂の行為の肯定ともとれる。猪突猛進で解決されるほど甘くない課題があるのも真実だ。勇気を出して飛べば命を落とすこともある。「成らない」である。それでは難題に対峙する時に「為せば」にもっていくためにはどうすればよいのだろうか。「為す」からには成功させたい。自分に為すだけの力があるかを冷静に自己分析することだ。そのためには、どこまで「成る」かのゴ-ルも明確にしたい。そこを明確にしておけば必ず「為せば成る」にたどりつく。分割しても「成る」にしたい。
この名言には続きがある。「為さねば成らぬ」と続くが、行動なくして結果無しということなので当たり前である。しかし、「成る」課題は、努力すれば実現可能という前提で設定されるものに限られそうだ。努力しても成らぬものは、この名言の対象外である。しかし、くどい言い方だが、世の中は涙も努力も通用しないものもある。行為だけを肯定する「為せば」には自ずと限界がある。この名言を成立させるために、あらかじめ為すべき事が存在するとはずだ。
「成らぬは人の為さぬなりけり」というが動機と行動の一致が大切なのはわかるが、「成る」レベルは次第に高めようと試みるべきである。達成度を調整することで「成る」確率はずいぶんと高まる。取りあえず、「成る」ことにして、その後には100パ-セントをめざすという形ではどうか。成功体験こそが次へのステツプへ重要な案内人である。失敗して意欲を失うのはどうだろうか。大きな「成る」に繋がるような「為す」を準備するとしたいものだ。
よくひきあいに出される。意志あるところに‥の英文は解決方法を示唆している。やる気を出せば、方法が見えてくるという訳だ。具体的である。方法は大いにこしたことはない。可能性の幅がひろがる。一つの意志に一つの道と対応しているので、多くの道としたい。問題解決で重要なのは、問題設定と見通しである。道はやがて一つになる。そのためにも歩き出すときにどの道がよいかを真剣に考えてほしい。道は多数で、その中から話し合って選択するとよい。
藩政改革に燃えた上杉鷹山は、できない理由を探す家臣たちにまずは心構えを説いた。彼に賛同する者が次第に増えていったことは推測できる。しかし、次にくるのは現状分析と課題設定、そして解決方法追究に違いない。始まりは神がかり的演説でも実際の課題解決は地道な努力だったと思う。「為せば成る」の物語はいつの時代も魅力的だ。