きばっど うそも方便 R4.3.05
「最期の一葉」というO・ヘンリ-の短編小説を知っている人は多いと思う。となりのビルの壁を這う植物の葉は冬が近づくたびに一枚また一枚と散っていく。病気の少女はその散りゆく葉に自分の命の終わりを重ねて見ている。彼女の病気はけっして軽くはないが、生きようとする気力さえあれば改善すると医師は信じていた。その話を聞いた老人の画家は、自分にできる最後の役目はこれだと考える。そして、一枚の葉をそっくりに描く準備にとりかかる。人目につかないように、雨の強い、嵐の晩にその作品を仕上げる。それと引き換えにびしょぬれになった彼は、とうとう肺炎で死んでしまう。そのことを知らない少女は、あの嵐の晩にも散らなかった最後の一葉に励まされて「生きよう」と気持ちを変えていく。うそを信じた少女には生きようとする力がわいてきた。「このうそはよくない」とはだれも言わない。また、うそをつく行為をどうこうする話にもならない。
同じように学級経営でも生徒の信頼を得るのに、うそも必要だと言いたい。学級で競い合う時代、担任ならば、所属意識や凝集度を高めることが勝利への近道だった。「君たちは、体力的にも、成績もよくない。2番手のクラスだ」と初めての学級の時間に語った。「今日から1年間、2番手と言い続けられるか。それとも、学年でトップになるか?」と話を続ける。「担任は正直にみんなのレベルを語った。ここからは君たちがどうしたいかだ。トップをめざす覚悟があるのか?」と話す頃にはかなりザワザワした。後は、生徒たちが「1番になりたい」とか、「トップを目指してがんばりたい」と言い出すのを待つ。担任として、初対面の生徒をだますのだから‥「ごめんなさい、神様。うそをつきます。」である。ちなみに学級編成の作業はどのクラスも同じように編成するので、2番手はないのである。
この「最後の一葉」効果はてきめんで、この学校で担任する時はいつもこの手を使い、生徒たちのやる気を引き出した。一度、トップになると、うそのことなどどうでもよくなる。その座を守ろうと、クラス全体が変わっていく。毎年、うそを突き続けたのはあやまりたい。(30年昔だからもう時効だろう)トップクラスをめざして、テスト勉強を助け合ってやる中で、自分なりの勉強方法を、クラスマッチや合唱コンク-ルでは、学級のレベルをどう高めるかと自分に合う役割を見つけた話を同窓会で聞く。その度に「うそも方便」と自分を慰め、ほっとしている。もちろん、ネタばらしと謝罪も含めてである。
生き方やあり方に影響をおよぼす職業であるから、そんな意味で教師には許されると思う。医者の仕事の半分は患者との信頼づくりである。そのためには、よい情報は積極的に、悪い情報に正確に伝えることである。うそではないが、名医となれば伝え方は工夫しているはずだ。病気がよくないことは患者が一番分かる。医者といっしょに直したいと思うことが大切だ。医学系の進路を選択している生徒が「患者にも家族にも信頼される医療従事者になりたい」と語ったことが印象に残っている。こんな看護師なら、患者も安心だ。よい兆候を取り上げ、痛みや苦しみを和らげる言葉をきっと話せる名看護師になるだろう。「うそも方便」は言葉で人が生かされる関係づくりに違いない。「言葉を信じて、いっしょにやってみよう」が信頼の第一歩だと思う。