教頭になったのは平成になったころ、離島の指導主事を終え、赴任した先は吉田南中だった。鹿児島郡吉田町にある花と緑の学校、教育センタ-の研究提携校である。吉田北中と南中で県花壇コンク-ルの優勝を交互に取り合う頃、校長先生は社会教育に詳しく、また 、園芸については玄人顔負けの方だった。
「お花を育てる」(環境整備)も管理職には必要な能力である。ところが、花なんか育てたこともない私にはこの仕事は大変な苦労だった。校長先生から、「教頭先生、お花が悲しんでますよ」と何度も言われた。水がかかっていないという話だ。かかっていないと書くぐらいの素人だった。花に水をかけてはいけない。花に水をやるが正解だ。根元に水をしっかりとやる。表面が湿ったように見えても、掘り返すと乾燥していて水やりになっていない。花の種類によっても水やりは違う。学校花壇の花*花はけっこう育てやすいものだが、あんまり水をやりすぎてもいけないものもある。天候や気温、成長を考えながら、水をやることだ。夏場は少し多めにやる。根をはらせる時はややかげんする。そして、鉢植えと路地ではやり方が違う。素人なりにいろいろと学んだ3年間だった。「お花を悲しませてはいけない」の一言が今でも忘れられない。
「切り戻し」とか「花殻摘み」は少しでも花をもたせる方法として、身につけておきたい。咲き誇った花は通気性が悪くなりがちだ。雨が続いたり、水かけの量が多いと、気温が上がるにつれ、内部がむれてしまう。そこで、枯れた花、咲き終わった花をきれいに取り除き、中心部に空間を作る。人間で言う脇を開けてあげると花の勢いがもどる。そして、きれいな花が咲き続けることになる。自ら進んで万年花係になる方や花壇コンク-ルで連続優勝を手にする先生は、ちょっとした玄人園芸家である。これらの先輩方の技を盗むとよい。 花をよく見て、どの枝を伸ばし、どの枝を切り落とすかは、人の才能をどう伸ばすかという同じである。お花の道の達人の目には、人でも花でも変わりなさそうだ。この校長先生の人の才能を見抜く眼力にもしばしばおそれいった。どの枝を伸ばし、水はどのくらい、肥料をどこで与えるのかを、人に置き換えてイメ-ジできる人だったのだろう。お花の修行がなかなかうまくいかない私はその後も何度か水をやるのを忘れたり、やり過ぎたりした。いつのまにか、学校で栽培される花の名前も水やりの技も少しは覚えた。学校を卒業したら、庭いじりができる程度にお花の道の腕を磨きたいものだ。今年の入学式も花がきれいだった。勝手に咲く花は一つもない。そこには水をやり、草を抜き、肥料をやる方が必ずいると知っておこう。それが若いうちに分かると、お花の道も上達が早い。よき先輩に習えるうちに身につけておこう。「悲しんでますよ」という言葉は人でも花でも同じだ。この時期のきれいな花々を見る度に、人も花もどう育てるのがよいかを気づける人になりたいと考えてしまう。