「天の時 地の利 人の和」という言葉を今風にトランスレイト(翻訳)してみた。まず、「天の時」は「タイミング」という感じでどうだろうか。昔、ウンチャンナンチャンのテレビ番組で出演メンバ-で構成されたグル-プの歌唱対決があり、「ブラックビスケット」という名前をつけたグル-プが歌った。とにかく「タイミングこそが物事を決めるのに大事だ」とよくわかる歌詞だった。
次に「地の利」の話だ。孫氏の兵法に「地」についていろいろと出てくる。「どんな所に陣を構えるとよいか」や「こんな土地に軍隊を進めたら気をつけろ」とあり、「死地」だの「窮地」だの物騒な名前で解説されている。中国では土地に関することを扱う話は多い。幸福を招く風水という学問まであるから、「地の利」についてのこだわりは半端ない。どうトランスレイトするか、難しいが、「バランス」という言葉を考えてみたい。職員の男女の比率とか、交渉で相手の要求をどこまで飲むかのバランス感覚はリーダ-には不可欠の要素である。「調整する」と縁語的に意味を広げると、その利点、欠点を知った上で、「活かす」という発想とも似通う。ちょうどよい所を考えることがよく、勝ちすぎても負けすぎてもいけない。「勝負は負けなければよい」でバランスはとれていくようだ。
最期に「人の和」であるが、これは「ハーモニ-」である。十七憲法の「和をもって尊し」にある発想は協力や共働である。前の2つを欠いても「人の和」は絶対に欠いてはならないと書かれている。ワンチ-ムとなったラグビ-や伝説の東洋の魔女とか、古今東西、この人の和が起こす奇跡には驚かされる。聖徳太子の憲法は理念的な側面が強いとかと言われるが、ここまでくると人生哲学だし、よくぞ憲法の一文にされたと感動する。
トランスレイトすると具体がみえる。他の言語を学ぶポイントはここにあるのだろう。言語の違いは考え方や見方の違いである。翻訳してみると、同じ部分もわかるが、違いも鮮明になる。価値観はもちろん、思考のパタ-ンが違うことも見えてくる。見ず知らずの人とつながるには、まず、考え方の違いが判ることである。違いがわかると、何を説明するべきかがわかるので、相手とつながる手立てが生まれる。トランスレイトはそんな訓練をしていることになる。
「チコちゃんに叱られる」では、多様な言語が存在する一つの説としてこの「考え方の違い」が紹介された。それは「価値あるものがそれぞれの土地で違うから」というものだった。実におもしろい説である。農耕民族であると、稲作に関する自然現象をどう呼ぶかの語彙は当然増える。また、海に囲まれて漁を捕れば、同じ魚なのに成長の過程で呼び分ける「出世魚」なんて言葉が出てくる。ブリ、サワラと呼び分けて、おいしくいただくことになる。これらを価値ある食べ物としていたからである。「言葉が文化である」という話はこういう辿り方をしても、なるほどとうなずける。