令和3年の学園スロ-ガンは「やり抜く力」であった。そこで、「やる気、やること、やり抜く、やりとげる」の流れで再度、考えてみた。動機があり、対象がある。そして、行動が起こり、結果が出てくる。この構造を大事にしたい。「何をやり抜くのか」と人には動機が必要だ。お金や名誉もだが、教師は、教育者として果たすべき使命がある。教師になろうと思い立ち、先生と呼ばれた人なら、生徒のためにがんばろうと思うのは当たり前である。やり抜く対象は、「生徒のためにできることは何か」である。将来役に立つ力をつけるには?ととことん考えてみたい。「生徒の面倒をとことんみる」には大いに賛成である。
しかし、どんな目標でも「やり抜く」は大変だ。この継続が難しい。なかなできないから「3日坊主」なんて言葉もできるし、よく使われる。人の世は継続できないことが多い。そこで、少なくとも「結果として変わるまで継続できる」であれば、当然、成功なのだろう。変われなかったら、変わらなかったら失敗だと考えるのなら、簡単な理屈で、「成功するまで継続すればよい」である。
成功者に共通する資質は、「あきらめない」である。あきらめなかったら成功したとなるようだ。確かに失敗するたびに、人はいろいろなことを学ぶ。失敗を続けると、成功するのが近づいてくるような気がする。楽観的すぎるだろうか。自分との距離がつかめない時は、全力でぶつかってとりあえず失敗してみるのもよい。まぐれで成功すると、そこで達成された気になる。これでは、自分のものになっているとはいいがたい。なら失敗もよしとしたい。
お金は使うとなくなるが、学んだ知識や身につけた技術は決してなくならない。使えば使うほど改善されてうまくなり、確かになり、自分のものとして身につく、いろいろな場面でも使える。その意味では一生の財産である。また、求めて学んだ使える知識は、次の使える学びを創造する。有効な学びを知ると、もっと深く、もっと広く学びたくなる。名人や達人には継続が欠かせない。 「やりぬく力を生徒たちにもつけてください」と年頭の講話であったが、やはり、こればかりは「隗より始めよ」で教師がやってみせなくてはなるまい。教えることは学ぶこと、学ぶことは教えることで学ぶ力と同じだ。やりぬく力はどんな力とコラボさせるとよいのか。やり抜く力は、成功する人のコンピテンシ-(行動特性)である。キャパが足りないというが、その前の意欲や継続などのメンタル部分はさらに大切である。やり抜く力をつけるには、成功体験の積み重ねや目的意識の明確さなど、当たり前だがそこを避けては通れない。生徒を正しく評価できてこそ、この力を育てられるに違いない。まずは、成功体験をイメ-ジさせておくことだ。また、取組や過程をほめることは失敗にくじけないために必要だ。それは成功するまで手を変え、品を変えてでよいと思う。