今年はコロナくんとつきあわないといけない一年だった。逃げようにも逃げ場がなく、正体がよくわからない彼につけねらわれた。3月の初対面では、その恐ろしさからすぐに休校になったり、卒業式には歌もなく、時間短縮と大騒ぎになった。そして、とうとう「来賓にもご遠慮いただき…」と来賓席もなくなった。年度が替わり、「三密を避ける」ように言われ、保護者のみの参列という入学式からスタートした。歓迎会はもちろん、密となる会は例外なくすべてなくなった。新入生がマスクをしているので、名前も覚えられない。どんな声かもわからない。5月の保護者のPTA総会までも紙面開催となった。生徒も保護者も覚えられない新学期だった。
コロナくんはどこからともなくやってくるという話が広がった。遠足や修学旅行にバスで行くと危ないと言われ、中止や延期になった。日本中が毎日、王冠に似たコロナくんの映像を何度も見せられた。6月から7月にかけての対外試合や遠征、練習試合もなくなった。勉強も対面授業がだめで、オンラインやズ-ム授業というものが始まった。中国はじまり?のコロナくんは、1学期を中心に日本中に恐怖を植え付けてどこかへ去っていった。
夏休み前に鹿児島でもクラスタ-が発生した。天文館にいけない日々がスタ-トした。今度のコロナくんは鹿児島のいろいろな所に姿を現した。どこもかしこもコロナくんだらけでないかとだれもが心配になった。とうとう6月末予定の研修旅行も2学期に移動することになった。生徒も教師も県外に行く度に健康観察や隔離生活が必要となり、心配だけが募った。帰省できない寂しさに初めての寮生活の生徒たちは押しつぶれそうになった。1学期から夏休み、2学期初め、コロナくんはあちこちで大暴れ、みんなの心をずたずたにした。報道される数字に心を痛める、先の見えないがまんの日々が続いた。
研修旅行の10月末実施は至難の業だった。何しろ毎日、全国で感染者数が増え、流行、注意地域に目的地の北海道が入るのも時間の問題だった。計画では東京ディズニ-も予定していたが、これをあきらめ、北海道だけで実施することにした。旅行業者と連携して、当日の感染状況を把握し、訪問先や研修場所を変更することにした。コロナくんの脇の下をすりぬけて、北海道でのファ-ムスティを実現できた。旅費が安くなるなどのGotoトラベルの恩恵を受けたのにはびっくりした。中学体育コ-スも大阪近辺のサッカ-、野球観戦をあきらめ、熊本、長崎に変更しての実施になった。キャンセルがあいつぐ中で、思いがけず、立派なホテルに宿泊できたと聞いた。県内実施とした学校も多かった。
やがて令和3年がやってくる。新しい生活様式は定着し、感染しやすい5つの場所への注意が喚起されている。ここまでで、人が「距離」にいかに左右されるかということがわかった。マスクで顔が見えないと気を使わなくて済むという人もいる。しかし、知り合いがまったくいない世界に暮らすようで、寂しい。足型の絵に誘導され、いやでもディスタンスを守らされる。「ふれあい」の歌詞ではないが、「コロナくんに出会う度に大切なあの人を思い出す。」この1年のコロナとのつきあいで、一人では生きていけないこともよく分かった。なにげない心のふれあいがほしい今、そろそろ、コロナくんとさよならしたい。