きばっど 日本のいろいろ 2020.1.20
「利休鼠の雨が降る」という一節がある。どんな色かと言うと、「利休が好んだねずみ色」で、緑みを帯びた灰色を意味している。北原白秋の「城ヶ島の磯」という歌に出てくる。昨日の雨の中を帰る生徒を見て、この歌が突然思い出された。雨という言葉からの連想であるが、雨に色があると考えた北原白秋の感性に驚く。広く知られたこの歌の影響もあるのか、懐かしい昭和の歌謡曲では雨に修飾語をつけて、いろいろな雨の情景を生み出した。「水色の雨」だの「9月の雨」だの雨の日はせつない気持ちがあふれだすようだ。「始まりはいつも雨」で、「雨の物語」のように、雨の日に終わる恋もたくさん登場した。「晴れの日、雨の日、足る日」と続く連句もある。「最後は一日を満足して終える」という意味だろう。雨一つにも、日本語の表現の豊かさをついつい書き連ねてしまう。
さて、傘を忘れてしまい、「濡れ鼠」になる生徒を救出したいものだと生徒会長に語ると、レンタル傘を提案された。高校生となるとなかなか感度がよい。忘れ物の有効利用を考えつくところがすばらしい。私のアドバイスとして「テプラでかえるのイラストを打ち出して貼るとよいのでは」とつぶやいた。すると、「返してほしいのメッセ-ジですね」と答えが返ってきた。なかなか楽しい会話ができる。「利休鼠」の色の話もこの感度なら分かりそうだ。
「るり色の風に明けゆく」という校歌の学校に勤務した。この「瑠璃色」がなかなかイメ-ジできなかった。青みがかった緑のことである。緑と青は近いようだ。緑が青になるという話だが、青葉というが新緑を意味している。また、「青馬の節会」の馬は白馬であるから不思議だ。さて、瑠璃は宝石の一種で、その美しさから女性の名前としてよく使われる言葉である。風に色があると考える発想もすごい。そう言えば、「緑のそよ風いい日だね」と言う歌もある。「風立ちぬ」とでは「高原のテラスで一人、風のインクでしたためています」だったと思う。「さよなら」と書くはずだが、どんな色かは歌うあなた次第なのだ。
色々話はつきない。「人生いろいろ」と歌う人は、自分の人生がそうだったようだ。思えば、私も母を送る日に「母の人生に多くの彩りを添えていただいた皆様に感謝したい」と、いろいろと話した。「あなたの色に染まりたい」は演歌の常套句だ。「白無垢」からの発想だろうが、色とりどりのドレスにお色直しする今時の披露宴もまたおもしろい。いろいろな人生を楽しみたいのメッセ-ジだろうか。人生には色がつきものだが、「白黒つけないといけない」と考えないで、グラディエ-ションやぼんやりにした答えも味があると考えられる余裕が必要だ。「肌色」のクレヨンはない。国際化が進んだ今、ペ-ルオレンジとかうすだいだいという。まあ、いろいろな肌の色があるから納得である。ぶどう、みかんも色でイメ-ジするが、青や白があるとすれば、この色での呼び名もいかがなものか。「色を失う」ことになりそうだ。