きばっど 自我の問題 2019.11.11
山喜先生の話は「自我の形成について」であった。心の器として自我が形成されていく過程を語られた。実にわかりやすく面白かった。前半の「あこがれ」の話に時間をとられて、後半が駆け足になったのは残念だった。なかでも、万能感の強い子供が親の期待に応えるために自我をどう形成するのかは興味深い部分だった。「ほめて育てる」の基本はここである。子供は親、とりわけ母親が喜ぶことをしようと努力する。そこで少しでもできたらほめることが大切なことがわかる。ここをきちんとやらないと人生で大損をすることになる。ピンチの時、家族に「助けて」と言えるのは、ここでできた信頼関係の賜だと思う。
思春期になるとモデルへのあこがれなどを経て、もう一人の自分を意識するようになる。自分を客観的に見ることができる。心の成長といっても過言ではない。後天的な自我の形成だ。この自我こそが人生をよりよく生きるために必要なものだと語られた。自分を客観的に見られないようでは失敗の連続か、へたすれば命を落とす。「運良くできた」は連続することはない。どうすればできるかをモニタ-し、それを別の場面でも活用することだ。経験値の問題とかたづけてはいけない。すべて自己を客観的にモニタ-できるかどうかの問題だ。
教育心理学でメタ認知という言葉が流行した。メタ認知する方法が非常にわかりづらかった。生徒に語るときは、自己内対話とか、もう一人の自分とかで説明してもよいと思う。一定の条件下で期待される自分、もしくは、自己達成度との比較である。そこが出発点でそれをどう改良しようかと考え、実行する。その実行した結果を評価して、修正する。この繰り返しがメタ認知である。
こういう認識の仕方を学ばせるためには授業の感想や行事後の作文は効果的だ。ポ-トフォリオという考え方は日本ではずいぶん昔からある。洋の東西を問わず、人が考えることはだいたい同じだ。昔から行事作文は特別活動の評価として話題になることがしばしばあった。特別活動は「為すことによって学ぶ」と言われている。為すこととはいったい何か、学校生活のすべてである。学ぶとは何か。これも幅広い。一言で言うと人と人の協力だろうか。教科では養い得ない行動に関するものを学ぶことだといってよい。それはマナ-やル-ルのたまごであり、将来、社会人となった時に、チ-ムでの作業を成功させる基礎となる部分である。
自我を形成していく過程こそが「成長だ」といえる。学校生活での様々な活動を、よりよい自我を形成する試みへとつなげることが、特別活動のねらいだ。特別「な」活動と読み替えれば、いくつになっても為すことで学べるはずだ。学ぶに遅いはない。「為すこと」を学ばせて、生きる力を育てる学校こそ、その人の心のふるさとであり、人生の道場などと呼ばれてよいのかもしれない。