きばっど 自分を語る 2019.11.3
指導監から体罰防止の一つとして、生徒との人間関係づくりの話があった。その中の「自分を語る」という話は、なるほどと、うなづけるし、実におもしろい提案だった。これも教師の資質であると考えると、自分を語れる教師には心を開く才能があり、結果、生徒への影響力を高めていけるのだろう。
人は好き好きらいで知識の獲得が違うと聞いたことがある。教える先生との心理的な距離は学習成果に比例する。あの教科が好きになるかどうかは先生が好きかどうかだ。とりわけ、感情が生に近い中・高生はそれが顕著だ。自分のことは棚に上げて、「先生が偉そうに語るのが許せない」からはじまり、理由もなく、姿・形までこだわるからやっかいだ。そこまで教師は責任をもてない。
初任のころから三校目までは親より生徒に年齢が近い。生徒と語る話も共通項がある。そのうち、親と同年齢になり、生徒の話題についていけなくなってくる。おもしろいと思いこみ語る武勇伝も昔話になり、笑いもとれなくなる。管理職ともなると、よほど努力しないと、共通話題がなくなる。担任が生徒との人間関係を構築できないのに、しゃしゃり出れば、生徒から殴られて当たり前だ。生徒は正直で人間関係がない相手から、話を聞くことはない。もちろん、話さなくても分からないのだが…。だから、管理職は親や関係者の根回しをして、担任が生徒と人間関係ができるようにすることに力を注ぎたいものだ。
同窓会に行くと、「先生の授業の脱線話がおもしろかった」「中学生に人生を語る教師でしたよね」と評価される。「20年いや30年先を見てましたよね」と言われると、生徒の評価に驚く。まさに生徒たちは未来からの旅人だ。
将来の糧となる修学旅行を生徒たちに企画から参加させてみた思い出がある。その結果、世界遺産、先進産業、平和、そして、友情、これからを生きるキ-ワ-ドと出会う旅となった。最先端の「つばめ」に乗せ、語らいの場を演出した。秋を感じる歴史の町「萩」で自主研修を実施して、助け合う力を育てた。夜は学級の出し物で盛り上がるレクレ-ションで笑いを分け合った。生徒ファ-ストの3泊4日に人生の楽しみを盛り付ける海鮮丼のような旅行だった。
これを体験した生徒は自己を語る教師と育った。楽しかった思い出は心を開いて人に語りたいものだ。そういう体験を蓄積すれば、語りながらアレンジして、生徒にも語れる。教え子たちとの心の距離感を調整しながら、自分を語れることはすばらしい。人が生きるのにお手本は必要だが、失敗しても乗り越えられると自分を励ますことはさらに必要だ。誘惑に負けたり、心と違うことをしたりと理解しがたい自分に翻弄されることもある。それでも、それを許し、乗り越えていく。そんな人生の応援になるように、楽しい思い出も失敗談も含めて「自分」をぜひ語ってほしい。
くれぐれも時間には気をつけて‥