きばっど 自ら学ぶ 2019.10.3
バブリ-ダンスで一世を風靡した大阪の登美丘高校、その指導者アカネ先生がテレビに出ていた。さて、全国一にした秘密はなんだろう。「英才は自らを育てる」を育英館のウリにしようと考えているのに、なかなかその指導法を確立するまでに至らない。特に、「自ら学ぶ」は口でいうほど簡単ではない。
世界一受けたい授業のスタッフは実にうまく、先生の指導法を聞き出していた。ダンスの振り付けを生徒に教えて、「はい15分でものにして…」と時間を区切ってしまう。15分経過すると有無を言わさず、練習スタ-ト、当然できない生徒が続出。そこで、「はいだめ もう一度」である。できないことを一人一人にしっかりとわからせて、「はい、10分で仕上げて…」と放り出す。時間が区切られているから、できない生徒はできないところをメンバ-のだれかれかまわず、一斉に聞き、習う。真剣そのものだ。「はい、どうぞ」と、きっかり10分で練習再開である。できるまでやる。一回でもできたら終わり、「よくできたね」と褒める。褒めることが少ないが、それでも、生徒は実に意欲的に取り組む。本人曰く「9割ダメで、1割ホメです」と本人は言う。褒めて育てるは大切であるが、その割合はそこにいる生徒を見て決めるのだろう。
最初の15分の自己追究も真剣だが、相互に聞き合う時間は半端ない。自分でどこが足りないかを考えさせているから、自分の欠点がわかる。そこをできるようになるために何が必要かをわかるから、それを準備するのに真剣になる。準備できたらできるまで何度も繰り返す。生徒が自ら学ぶ方式が自然とできあがっている。単純だが、実に真理をつかんだ指導だ。
作品になりかかると、最後の仕上げは「面白く」である。アカネ先生が「面白くないなあ」とダメ出しする。突き放された生徒たちは考えに考え抜いて面白さを作り出す。否定しないでやらせて、最後にそこを先生は認める。褒める。生徒の発想を大事にしている。「生徒を一人の大人として扱う」の言葉は深い。作品が自分たちのものになれば、よくしようと自然と思いが働く。部員のほとんどが高校まではダンス未経験であるのに、自分たちのものになり、その思いで高まるから全国へ通用する作品へと仕上がっていく。
大多数のなれないチ-ムの指導者や生徒たちに足りない部分はどこなのか。やはり、「自分化」ではないだろうか。なりたい自分になるためにこれは必要だと求めてほしい。勉強を自分のものととらえられたら、「わからなければ聞く」の行動になる。自分のことと考えれば、聞かずにはおけない。
そして、自ら学ぶは自ら「さらに」学ぶとなり、その途中で人にも教えるとなる。チ-ムで作り上げる良さは、自分だけの高まりでなくまわりも高めるである。いっしょに高まると楽しくなる。「自ら学ぶ」はこんな楽しさの裏付けが必要だ。