きばっど 出藍の誉れ 2019.9.25
このことわざは荀子の次の漢文から由来するものです。
「君子曰、學不可以已。青取之於藍、而青於藍、冰水爲之、而寒於水。」
訳は、「君子が言われた。学問は永久に継続して修めなければならないものだ。青い色は藍という草から取ってできたものだが、それはそのもとである藍よりもさらに青い。氷は水からできるが、水よりもさらに冷たい。」です。「青取之於藍、而青於藍」という部分は、門人が師よりも一歩進んだ修養ができていることをたとえたものです。作者である荀子は、終生学び続けることによってすぐれた人間を目指すことや、また自分勝手に学ぶのではなく信頼できる師のもとで学ぶことが重要だと説いています。だから、人間の生まれながらの本質を「悪」として、後天的に続ける努力、すなわち生涯学び続けることによって、「善」に向かい、すぐれた人間になることを勧めたのです。この漢文に由来することわざから派生した「出藍の誉れ」の意味は、もちろん「青は藍より出でて藍より青し」です。生まれたものが、そのもとのものよりすぐれていることから、「弟子がその師よりもすぐれていること」をいいます。師を超えるすぐれた弟子を称える時などに使われる言葉です。
まえおきが長くなりましたが、これこそが教育の完成形だと考えられます。優れた教師は生徒を自分よりも高められるのです。師をこえるためには、師のすべてを理解した上で、弟子は自分なりの工夫や努力をする必要があります。そして、師は弟子が自分をこえることを容認し、その成長をたたえることがポイントです。教育は可能性を伸ばす営みです。そのためには既存の枠組にとらわれず、自分をデザインしていける人間に成長させることを目指さなければなりません。新しい時代を切り拓く発展や進化が認められてこそ、教育です。
「スタ-ウォ-ズ」が好きなのは「師と弟子の物語」であることです。一人の師は一人の弟子しか教えないという厳しいジュダイの掟の存在、考えてみると、究極の小人数教育であり、これこそが本物の教育なのです。この教育には、知識だけでなく、生き方や人としてのあり方が付随されています。知恵のある悪魔を育ててはいけないことが基本にあるのです。戦いに出かける場面では「フォ-スとともにあらん」を必ず確かめ合います。勝負の勝ち負けよりも正しく生きることを確認し合っているように見えます。ライトセ-バ-でのチャンバラだけでなく、東洋の思想を作品が包含しているのでしょう。生涯学び続けることを説いた荀子がこの悪と善の戦いのドラマを見てどんな感想をもつでしょうか。登場人物はそれぞれのステ-ジで悩み、苦しみながらも師をこえて成長していきます。教師が、卒業生に会うと楽しいのは「こえられた」と感じる瞬間のせいかもしれません。まさに出藍の誉れの世界です。