きばっど 授業は生徒と教師のドラマ 2019.8.22
授業は知の入り口に過ぎない。生徒が知りたい、分かりたいと思えば自然と学ぶし、力になる。よくたとえに使われる。水飲み場に馬を連れて行く話がある。水を飲まそうとしても飲まない馬はどうしようもないと教育現場での話はまとまる傾向がある。そうだろうか。たとえに使われる馬にとっては迷惑な話だ。「水を飲まない」と条件があるのに連れて行く人が悪い。
この条件を残したまま、発想してみよう。まず、水は飲まないのだから、別のものはどうなのだろうかとの発想である。同じ水分でよければ、ポカリとか、ジュ-スとか。飲めないぐらいに弱っているなら、生理食塩水の点滴とか、好物の食事の時にいっしょに水を飲ませるとか、水を飲まない馬に飲ませる方法を考えて見る方が教育的だ。
授業を成立させるには、生徒の取組が大きな部分を占める。教師が6で生徒が4ぐらいだろうか。いやいや、本来は生徒が9で教師が1ぐらいなのだろう。吉田松陰先生(山口県ではこう言わないといけない)の教授法は問答法である。かの有名なソクラテスの産婆法?と同じだ。問いかけていくと思考が深まり、真実や解決方法を見いだせるという方法だ。生徒同士の練り上げで知が智に変わる。智は生きる力を背後にもつ。有言実行の世界がそこにある。先生のレベルに達するのはなかなかだが、生徒に問いかけ、考えさせることは可能性を拡大する。経験の浅い先生はがまんできずにすぐに自分で答えをいう。不安だから教え込む。生徒にとって自分ができない、わからないことを明確にしてあげれば、わかりたい、考えたいというにきっとなる。そこまでまてるかどうかだ。教師の力量とはそこまで待つかどうかでもある。
授業の基本はよく聞くこと、そして、大事なところをメモすることだ。板書を写すことを指導してはいけない。キ-ワ-ドを見つけて、それをきちんとメモすることだ。いねむりをしたい、手遊びをした生徒は自分の授業の受け方に満足していない証拠だ。自分のメモを見させて、授業を振り返らせ、今日の取組を評価させることも大切だ。
授業感想を書かせると、取組はさらによくなる。そして、集めた感想に励ましや評価の文言をそえて返すとさらによい。教師自身も自分の授業をふりかえることにもなる。今日の授業で一番印象に残る言葉はなにかとかの発問でもよい。書かせてみたい。授業をふりかえらせること。名選手イコ-ル名監督にならないのは、「言語表現力」のあるなしだ。運動を言葉で表現できるかはけっこう難しい。生徒の1時間の取を言葉で評価するのはかなり難しい。「理解したことを表現する」が記憶の自分化だといえる。先ほどの「智」に変わる瞬間でもある。2学期のスタ-トでは、検討会で話題になった各学年の課題克服に各教科で努力してほしい。