甲南中での講話の中で、校歌の歌詞についてふれた部分を取り上げてみたい。明治150周年との関わりの深いこの歌詞にふれて、生徒たちへ語った。
1 甲突川の南の いらかも清き学び舎に 敬愛信をめざしつつ
向学自主の意気高し 中学甲南 若人われら
2 英俊雲と生まれつぎて 維新の業をなしとげし 三方限の名も永遠に
共同自治の風かおる 中学甲南 若人われら
3 秀麗千古桜島 火をはく嶺にこだまして 明るく強くたくましく
燃ゆる命が明日をよぶ 中学甲南 若人われら
鹿大の蓑手重則教授の作られた歌詞である。特徴的な文語表現を随所に用いて、格調を高めている。「いらか」は瓦屋根のことで、小説「天平の甍」や童謡「こいのぼり」では「甍の波と雲の波」と歌われる。今の生徒は知らない言葉である。「甲突川の南」の歌い出しは「甲南」という学校名を想像できる。南、東は中学校名としてあるが、北、西はない。甲突河畔から桜島が見える維新ふるさと館あたりに立つと、南も東もよくイメ-ジできる。次に「敬愛信」であるが、西郷隆盛を思い出すと、「敬天愛人」であり、「信の人」である。生徒は「人を敬い、人を愛し、人を信じる」と答えた。小さいころから親しんだ郷中の教え「負けるな、うそを言うな、弱いものをいじめるな」を思い出したのだろうか。
「三方限」とは、地域の名称である。上之園、高麗、荒田の地域をまとめてこう呼んだ。甲南中の正門の横にこの碑がある。偉人が次々と誕生して明治維新で活躍した様子を「英俊雲と生まれつぎ」と「維新の業をなしとげし」と表現している。「雲がわくように次々と」はこの碑にあるメンバ-の多さを見れば納得できる。この地で学ぶことの誇りをもてる歌詞だ。新しい時代を切り開く多くの若者を思い出させる「坂の上の雲」の松山市街とよく似た雰囲気が、このあたりには漂っている。
三番は自然と人間の対比であり、そのエネルギ-と対峙できる若者の可能性を取り上げている。「明るく強くたくましく」は桜島にも負けない若人の姿である。メンバ-の一人、長澤鼎は13歳でイギリスへ渡り、のちに、アメリカでブドウ王となる。彼の心の支えは郷中教育の教えであった。「名を今に残し人も人、心も心」と教える島津日新公いろは歌にあるように、「若人われら」には、「偉人にも若い時代はあった。悩んだり、苦しんだりと君たち同じで、変わらないよ。若さでがんばれ」と中学生への応援の気持ちがこめられている。
義務制の中学校は、昭和24年(1944年)前後に創立され、多くの学校が創立70周年をむかえている。周年行事を開催するに沿革を調べていると、思いがけず、歴史にふれることになる。ふだん何気なく歌う校歌を見直し、愛校心を育てることは心のふるさとづくりに必要なことかもしれない。明治維新150周年を機に学校から歴史再発見が行われるとおもしろい。