授業検討会で最後に話させてもらったが、その話を整理してみたい。授業を構成する要素は極論すると、教材、生徒、教師である。指導主事が校内の授業研究に呼ばれて、授業を参観し、授業研究に参加し、最後に指導助言を求められると、この三点から話をすることになる。改善に直結する視点だからである。
さて、細かい話には後日ふれるとして、「目で山を見る」と覚えておくと、授業がひととおり成立する。まずは、目標である。教材名や題名を書くのは当たり前だが、その後に今日の授業でできるようになることを書いておく。つまり、教師、生徒が同じゴ-ルを目指しますよと宣言する作業を入れる。これなしでは目的地なしの散歩でどこに行くかわからなくなる。ゴールを提示すると、寄り道がなくなる。
そして、授業の山場を作る。これは生徒の活動量が一番増えるところだ。発表がその最たるものだと考えられている。もちろん、発表だけでなく、黙って文章を考えたり、問題を解いたりも山場には違いない。教師も生徒もこの授業は何を目指しているかがわかるように活動を通して「見える化」する部分である。
発問は一問一答ではこまる。答えはできるだけ決めつけない開放タイプがよい。生徒間のやりとりがあり、考えが深まる。AかBか、YesかNoかはおもしろくない。答えが一つではないと考えると、発表を共有したり、間違いの原因を追究したりと真剣になる。そして、納得して自己解決に至る。これが山場で一番深まるところだ。
そして。見届けが肝心、目標とした地点のどこあたりまで来たのかを分からせる。宿題を出すのであれば、不十分なところを出すのでなく、そこに気づかせるとか、次の授業に興味をもたせるとか、仕掛けをつくる。宿題は出せば力がつくと考えるのは大きな間違いだ。基本的な問題を解説せず、ドリルといって家でさせるのは教師としての責任を放棄している。よく間違う問題こそ授業で必ずとりあげてきちんと解説する。口語五段活用がわからない子は、古典文法の上二段、下二段活用はわからない。「段」を理解するには、五十音図を横に見るという感覚が必要なのだ。
国語では新出漢字を取り上げる時は、小学校では書き順から、中学校では熟語や活用を、高校では類語から語彙の広がりと決まっている。言語要素的なものを取り上げないでよい授業はない。辞書引きは小学校で教えて、中学校では辞書の特徴や索引の利用法、高校になれば「忖度」という頻度の高い現代語の用例を調べるという話だ。
自分の教科を棚に上げて話したが、各教科も発達段階での教え方や教科語彙(勝手につけたが)があるに違いない。イメ-ジするには、各学校種のそれぞれの教科書の目次を見ればわかる。6、3、3制の世界は宇宙に似て面白い。どの教科も上に進めば、世界が拡大する。自由度が増す。自分の追求できる知識の自由が確保される。これこそが学ぶ喜びである。武蔵の言葉を以前ねぎって使ったので、もう一度正しく言い直すと、「千日の鍛 万日の錬」である。ほぼ、3年がんばると、それなりの人に、30年がんばると、名人になる。学問の世界の広がりも教えられる育英館の先生、育英館は授業で魅せる先生が多いといわれたいものだ。
きばっど育英館 授業で魅せる H29.12.25