きばっど育英館 頼まれごとは試されごと H29.11.8
中村文昭さんの講演は、生徒たちに大きな感動を与えた。高校生の感想を読ませてもらったが、心のスイッチが入ったり、人間力にあこがれたりと生徒たちの素直な気持ちが伝わってきた。中には、人からものを頼まれたとき、できない理由を並べたり、不満な態度で取り組んだりしているのは、自分ではないかと自問した生徒もいた。
教師になろうと決めた時、母から反対された。理由は「教師は他人のために生きる仕事であり、その見返りを求めてはならない。そして、生徒自身の人生に関わりたいと思うほど、限界を知ることになる」であった。今、考えると、その覚悟や責任があるかという意味だったと思う。大学を出てすぐ教師になれたから比較するものもない。ただ、「先」に「生」まれた人に終わりたくないとは思っていた。
だから、生徒から見られている意識を常にもち、担当した場で困難や課題が出てきたら、見せるチャンスだと思って取り組んだ。転んだり、ケガをしたりもあったが、けっして逃げないでがんばれた。くじけそうなときに陰から「先生」と励まして呼んでくれた多くの人の支えには今も感謝している。
そのときその瞬間を精一杯生きていくのだが、失敗をしないようにと生きる人生はつまらない。いつまでも後悔の雪だるまを大きくしながら生きることになるだろう。今の世の中、リスクだらけ、回避しようなんて到底無理だ。そうであればいっそのこと、リスクとつきあうことだ。逃げないで立ち向かうほうが先生らしい。楽しいはずに決まっている。先生は見られている。そんな生徒の手前、無理する場面も必要だ。
ちょっと違うが、病気とも上手につきあって生きることだ。人間ドックの判定もいつのまにか、Aはなくなり、BBCやCCBとなる。しかし、まだLEDにはならないと明るく(?)開き直る。病気とのつきあいかたも上手になる。若いころは病気を直さないと気がすまなかった人も、だいたいの状態が保てればよいと変わる。心の持ち方がその人の健康観を変える。健康なのにあちらこちらが悪いと考える人よりはずっと幸せだと思う。ただし、程度問題で、手遅れになるまでほっておくではない。
「心のスイッチの話がおもしろかった」と書いた生徒も多かった。心のスイッチとは、どんな時に入るのだろうか。中村さんは師匠と出会った時だった。自覚できて変わることができれば幸せだが、「あれだったのにダメ」では残念な話で終わる。中村さんはよい出会いを活かし、成功した。しかし、特別に心配なクラスの中村青年に「学校に来い」と言ってやりたかった。本人が来るならいつでも来いと待ってやれる。それが先生だ。いつも「おまえたちの担任の先生だ」と声に出してほしい。中村さんも、もうひとつ前の出会いで活かされたはずだ。
人との出会いは確かにその人を成長させている。また、人との別れも人を豊かにする。人生のおもしろさはそれを活かす人もいれば、できない人もあるということだ。どちらがよいか悪いかよりも幸せかどうかだ。建学の精神の「実利を図り」はなかなか説明しにくい。自分と他人との関係を考えると、自分が出会う人との関係をしっかりと発展させること、それこそが「実利を図る」となるような気がしてならない。