きばっど育英館 ことばの連続性から「ほめる」を考える H29.5.10
言葉は連続する中で初めて意味をなすものだ。まるで、池に石をなげて波紋が広がるように、心の中に波紋が広がる。その言葉が沈んで、波も静まってから、次の石を投げ込むのか。それとも、立て続けに投げ入れるのかで、話が変わってくる。
前の言葉の残響をうまく使うか、それとも、まったく違う効果を出すのか。これは言葉のセンスとしか言いようがない。前の言葉が響いているところに、次々に言葉を投げ入れると、それは強められ、意味が拡大していく。少し外して投げると、強すぎた言葉はある波の部分は打ち消しあって緩和されていく様に聞こえるはずだ。
「言いたいことをずばりという」とか、「遠回しにいう」も、石の投入れモデルで考えてみるとおもしろい。「ずばりという」のは、よいタイミングで投げ入れたときの反応だろうし、「遠回しにいう」は「少し視点を変えていう」と同じようなもので、石の投げ込む位置を本来のねらいと違い、少しずらすのと似ているのかもしれない。
文章はキ-ワ-ドと呼ばれる言葉の連続性で成り立つ。この連続性の観点から考えると、数名の会話で発言した者の言葉が響いている間に、他の人が新しい言葉を持ち出すとしよう。前の言葉との響きあいで、そこには新しい意味が発生する。それがおかしさや笑いにもなることもある。不幸なことに、投げ入れ方が悪いと、悪口だと誤解して受け止められると、仲たがいやけんかにも発展するだろう。
「口は禍のもと」という考えはこのあたりから来たものだろう。しかし、口の使い方一つで幸福もやってくるはずだ。石の話に戻るが、褒めるという観点でどう投げ込めばよいか、考えてみたい。適当な小石を何個もタイミングよく投げることが心に響くに違いない。大きな石をやたら投げ込むのは、びっくりするだけでほめられたとは感じないだろう。「ことばが先にある」というのはあたり前のことだが、その次に来る言葉やしめくくりとなる言葉にも注意したい。話すという行為は連続する言葉と言葉の響き合いを大事にしながら、伝えたいことへと導くのがよさそうだ。言葉同士の響きをうまく使えないのでは、話の効果は半減する。ぜひ、細かく研究してみたい。
「ほめる」というのは波紋の美しさでもある。石の大きさもだが、投げ込み方も工夫すべきだ。一つの石が沈んだら、少し離れたところに優しく投げ入れる感じだろう。よい褒め方は、主語を自分にして、相手の気づかない所を見つけて評価してあげることだ。相手の可能性をほめるわけだ。また、褒める根拠も明確にしたい。やたらほめるのはよくない。褒める材料を準備して取り組ませるのもよい。実技や問題を解かせて、結果でなく過程をほめよう。やる気や意欲が出るようにほめることがポイントだ。
「ことばを多く持つこと」、「あなただけに使う」とか、「ここだけで使う」などは効果的に違いない。タイミングや個人的という要素も大切にしたい。ほめっぱなしにせず、機会をみて、相手を思っていることをアピ-ルしてよい。相手を伸ばすという観点で石を投げ入れてみたい。どんなタイミングで何回投げるのが良いのか。ぜひ、知りたいものだ。「稲はお百姓の足音で育つ」ということわざがあるが、人も教師の思いやりで育つに違いない。