「サンタクロ-スは何歳まで、あなたの家にやってきましたか」という質問を大人にすると、笑いながら「小学校の高学年です」と答える人が多いものです。それまでは、実際に信じていたのに…。クリスマスのブレゼントが枕元にあるのだから、だれかがおいているのだと考えると、それがサンタさんなのです。どうして、親とわかるようになるのでしょうか。私は弟と寝ないで見張ろうとして、力尽きたことがありました。それでも、ちゃんとプレゼントは置いてあったのです。クリスマス前には何がもらえるのかとどきどきして、いつもになくお利口さんになるものでした。サンタさんにどうして情報が伝わるのかも心配で、「お利口さんだよね」と母親に評価してもらい、安心していました。プレゼントがない時はなかったと記憶しています。
中学校に行くころには、学級ではクリスマスのブレゼントが話題になり、変に大人びた友人から「それは親だ」と聞かされ、今までだまされたと思ったりもしました。しかし、分かってはいても、「サンタさんにはいてほしいなあ」と心の中で思う自分もいました。中学校の進路の時間には、将来なりたいものを書かされて、「ありません」と書く友人はこぞってサンタ否定論者でした。教育学部で心理学を勉強しながら、「発達課題」を学んでいるうちに、やっぱりサンタクロ-スがいることが大切だと思うようになりました。あるものの存在を理解し、信じることも成長の一つなのです。
とにかく、「サンタクロ-スの居場所をつくる」が人間として成長する過程で大切なのです。そこは、サンタクロ-スがいなくなってもあこがれや夢のすみかになります。自分の大切なものをとっておける心の空間なのです。想像力や人の優しさの思い出、あこがれた人を入れておける場所になります。サンタクロ-スがいると信じる気持ちが大切で、いるかいないかを疑う気持ちが優先するものではありません。世界中の大人がサンタクロ-スはいるのだよと子供に語れる日が来るとよいのになあとよく思います。子供によいものを与える、最高のプレゼントだと思います。
お互いが相手を思い、自分の大切なものを捨ててまで、贈り物をする「賢者の贈り物」という話から、クリスマスの贈り物は、お互いの善意だと気づく人も多いはずです。幼い時はそこまで分からないのですが、成長していくと必ず気づくのでしょう。そのためにも、サンタクロ-スが来る日が必要なのです。同じように「クリスマスキャロル」という話も考えさせられます。自分の生き方を振り返る機会を三人の幽霊とともに経験した血も涙もない高利貸しのクルーゾは、イギリスで一番クリスマスの楽しみ方を知る男に生まれ変わります。クリスマスだからこそ、この話は貴重です。無財の七施ではありませんが、お金のかからない微笑みをおくりたいものです。
「恋人がサンタクロ-ス」という歌もあります。「隣のお姉さんが教えてくれた」という歌い出しです。このサンタクロ-ス、ひげのかわりに微笑みがすてきなようです。今年はあなたも微笑みでだれかのサンタクロ-スになりましょう。世界中のみんながせめてこの日だけは、幸せでありますように。メリ-クリスマス