きばっど育英館 教育実習の授業研究 H28.10.7
国語科の授業研究会に参加した。永野先生の評論の授業だった。本人の反省が黒板に書かれていた。「時間配分、指名計画、 キ-ワ-ド、板書のスピ-ド、発問がうまくいかず ヒントの出し方」等が箇条書きされていた。
国語科の先生方の感想や質問が語られ、いよいよ私の番になった。研究授業の視点はいくつかあるが、教材研究、生徒理解、指導技術が大きな視点であることを話した。次に、黒板に書かれた言葉を整理して、考えを述べた。
まず、「キ-ワ-ドとヒントの出し方」であるが、これは教材研究の世界である。評論を指導するためには、文章の構成、接続語と指示語、文末表現、具体例と意見や主張の書き分け、重要語句の使い方など必要である。授業を始める前に、これらをしっかりと分析しておく必要がある。板書を意識して図式化しておくと理解が進む。
その図をどう完成するかの視点で発問や板書を計画するとよい。
次に「時間配分と板書のスピ-ド」という課題である。時間配分は、生徒の活動を位置づけて考えるとよい。個人で考えさせ、生徒間で話し合う。教師が生徒と関わりながら、まとめをする。自分で納得し、最初、考えたものに加除訂正して理解する。
授業をしながら、生徒の意欲、学習スタイルを把握しておくと、生徒の実態を考えた活動計画ができる。教材を構造化して、どの部分をだれにどのように考えさせるかで、計画はできあがる。生徒の顔が浮かぶようになると、ほぼ時間とおりの計画ができる。
「発問がうまくいかない、指名計画どおり」というのは、生徒の認知スタイルや理解のスピ-ドなどと、教材研究したものとの折り合いが足りない。全部教えてはいけない。下位から上位、具体から抽象など、重要語句にもレベルがある。ましてや、主張をわかるよう書かれた評論では、対比の理解は重要である。まとめようとすれば抽象的な言葉をそれぞれの要所で使うことになる。文章全体で、どこに出てくる言葉が重要であるかを考えさせると、言葉と言葉の関係を把握できる。そうして、筆者の考えにたどりつく。説明的な文章の指導では、その過程を教えたい。
今回の「教養とはなにか」という話で、「実学をとおして洞察力を身につける」という部分はまだ、わかりやすい。「書物を携えて町へ出る」は対比的な「書捨てよ、町へ出よう」を考えて、はじめて筆者の強い思いがわかる。「書を捨てよ」は抽象的な仮想でしかない学問の世界を飛び出し、実際の社会が何を求めているのかを知れという強い思いで書かれている。そのまねをした今回の「書物を携えて」には自分の教養をもった上で実学で成り立っている社会で通用するかどうかを試すという提案である。
説明文で力をつけるためには、数学の定石のように、比喩表現の考え方を教えておくると、確実で早い。それぞれの教科で10個も教えれば、だいぶ違ってくる。国語は、語句と語句の関係を探せるかどうかが勝負だ。一番言いたいことは何ですかで、答えは一つだけである。授業は、最後は一つにするがポイントである。