信頼とは、信頼に値する材料があるからするというものではなく、まず先に信頼してしまうことなのです。信頼されると人はそれにこたえようとするものです。
「先生」と呼ばれたら、生徒から信頼されていると考えてもよいのではないでしょうか。世の中で、「先生」という言葉ほど、精神的な拘束力がある言葉はありません。とりわけ、授業では、先生の話を聞かないといけないとだれもが思うわけです。しかし、暑かったり、眠かったりで集中できない生徒もいます。「なぜ、聞かないのか」と生徒を責める前に、聞けない理由がないかを推量してほしいものです。
そこで、信頼される教師とは?と考えてみると、生徒のできない、しない状況を思い量り、考えてあげられる教師ではないでしょうか。先生と呼ばれたら、それにこたえようとがんばりましょう。暴言や体罰はけっして許されません。人間としてやってはいけないことは、当然、先生がやってもいけません。指導することは、難しいものです。授業が楽しくなければ、知的な興奮がなければ、生徒が聞かないのは当たり前です。分かりたい、知りたいという欲求はあってもそれを満足させられるものが授業にないと、人は学ぼうとしないものです。知的な興奮や欲求を覚える授業を構想し、実践するのが教師です。先生と呼ばれたからには、まず、授業で信頼に応えましょう。
自分の話を聞かせるために、どんな方法をとるのか。昔は、「きびしさ」とりわけ、愛のムチ?本当によい言葉で体罰を美化していました。ミンチン先生をはじめ、昭和の物語に出てくる先生はだれもがかなり厳しい指導でした。昭和30年代に生まれた人々はいやというほど、体に刺激を受けたものです。受けなかった優等生も当然いましたが…。ちょっと油断が多く、冗談好きな私は、刺激を与える絶好の標的だったような気もします。本当にあれでよかったのでしょうか。答えはおのずとわかると思います。21世紀になった今、指導技術も飛躍的に変わりました。指導としての体罰や暴言は過去のものです。それを使う自体は、先生と呼ばれる信頼を捨てることです。
動物的な感情が人の行動を左右するとしたら、それをコントロ-ルできるまで、待つことも大切です。その方法を「アンガ-マネジメント」といいます。自分でかっとなりやすいタイプだと思う方はぜひ、これを身につけてください。怒りの発生のメカニズムを理解して、コントロ-ルすることが大切なのです。なかでも「6秒ル-ル」がよく取り上げられます。怒りは6秒しか持続しません。その間に怒りの理由を客観的に考え、自問自答すると、自然と怒りは収まるといわれています。
生徒募集の夏の陣「体験入学」に向け、全員が一致団結してがんばりましょう。育英館に学ぶ生徒たちが「楽しい学校」であると、胸をはって言えるように改善していきましょう。信頼はそれに応えようとするところから作られるものだと信じています。