きばっど育英館 「実利を図る」とは H28.5.23
鎌倉時代初期の禅僧道元の教えをまとめた「修証義」の中に「利他を先とせば、自らが利省かれぬべしと、而には非ざるなり 利行は一法なり あまねく自他を利するなり」があります。内容は、私たちは他人の利益を優先すれば、自分の利益が減ってしまうと考えるのではないかという話です。
ここで、道元は、「他人のため」とか「自分のため」とかを分けて考えること自体に誤りがあると指摘しています。人々に利益を与える行為はそれを行う本人のためだけではない。どんな仕事でもそれによって助かる人や喜んでくれる人がいる。人の役に立っていると実感できると、自分自身にも喜びが生まれます。日々の自分の仕事をまず人に喜ばれるようにという視点でとらえなおしてみませんか。そうすると、自分の仕事に対する誇りが生まれてきます。「実利を図る」とはそういうことなのかもしれません。このきばっどを書きながら思い出したことがありますので、そちらにふれてみます。
新規採用者研修会で理事長が五右衛門風呂の教えということで、大治少年と祖母との話をされました。その話を簡単に紹介してみます。田舎の風呂といえば、五右衛門風呂です。後藤大治理事長の少年時代の思い出です。五右衛門風呂は窯底を直接まきで温める構造ですから、対流が偏り、温まり方も一定ではありません。祖母といっしょに風呂に入った大治少年は温かいお湯を自分の方にかきよせて、温まろうとします。それを見たおばあさんが次のように少年を諭します。「ほら、自分の方だけ温まろうとかき寄せると、温かいお湯は、全部、ばあちゃんの方にいくことになるのだよ。逆に他人を温めようと湯をかき混ぜると、自分にも必ず温かいお湯がまわってくるんだよ。」のどかな農村の夕暮れ時の一コマですが、大治理事長には忘れられない話だったのです。
話をもとにもどしますが、「実利を図る」のおおもとはこの部分にあるような気がします。自分だけが幸せになるのでなく、行為が多くの人の幸せに通じることが大切なのです。仕事をしたのだから、当然、対価として給料をもらいます。それだけでなく、仕事をしたことで、喜んでもらえるとか、やり遂げた満足感がある部分が実は大切なのだと思います。
建学の精神を学ぶ指導ファイルの中にある「実利を図り」の部分のまとめには、「私たちが追求しようとする『実利』は独りよがりの、利己的な概念でなく、常に人類の幸福追求のために全ての人々から喜ばれるもの、つまり『社会に役立つもの』でなければならない」と書かれています。そして、「人間性を磨く」ことで、他人から信頼されて、実利を発揮できるものなのです。初代理事長の考えの中の生徒像には、「行動が伴う」イメ-ジがあります。学んで知識として知ったからには、行動に移せることが肝要です。まさに知行合一の世界です。