全校朝会の話 看板を背負う責任と誇り H28.5.9
育英館の卒業生は何人くらいかなと、生徒会長の長崎さんに尋ねました。「う-んと、700人ぐらいかな」と彼女は答えました。さすがですね たぶん募集定員を思い浮かべて、創立から何年かと考えて、計算したのでしょう。
記録を見ると769人です。聞くとたったこれだけという感じがします。だからこそ、この学校の存在は貴重なのです。これだけが私が話した英才と呼ばれる人たちです。まさに貴重な人材です。
「看板を背負う責任と誇り」というのはどんな意味なのでしょうか?時代劇では、道場破りは「必ず、看板をもらっていく」と大声で口上します。看板はその道場の象徴であり、そこに集う人たちの心のよりどころなのです。とられてはならないものだと思い至ります。「育英館」という看板は絶対にとられてはならないものです。大事にしないといけない看板です。
では、だれにどんな責任を負う必要があるのでしょうか?私たち今育英館にいる者が今まで育英館に関わった人たちに対して責任があるのです。先輩たちは育英館の卒業生という誇りをもって世の中で活躍しています。活躍できる原動力は卒業生であるという誇りからです。もし、自分が卒業した学校がなくなったり、評判が悪くなったりするとどうでしょうか。心のより所がなくなり、やる気も出なくなります。
だからこそ、後輩には先輩に対する責任があります。皆さんはその制服を身につけ、ここで学ぶことで育英館の生徒として見られるし、評価されます。その基準を満たすべき、責任が求められる訳です。しかし、ここで学べることは、かつてのすばらしい先輩たちが学んだように今ここに自分もいるという誇りをもつこともできるのです。一人一人が育英館に学ぶ英才であるという誇りを胸に刻んでがんばってください。
わたしは、「英才は賢いと志がセットである」と話しました。かの有名なクラ-ク博士は「少年よ 大志をいだけ」と教え子に語りました。志のある者が伸びるということを彼は知っていました。そして、こう続けるのです。
Boys, be ambitious as me 少年よ、私のように大志を抱け。
Be ambitious not for money or for selfish aggrandizement, not for that evanescent thing which men call fame.
Be ambitious for the attainment of all that a man ought to be.
金や私欲のためではなく、名声などと呼ばれる空しいものでもなく。
人間として当然持つべきもののために大志を抱け。
ここに英才である皆さんの使命がのべられているように感じます。「人として当然もつべきもの」とは、「道義に徹し、実利を図り、勤労を愛す」ではないかと思います。建学の精神こそ、人として当然もつべきものなのです。私にはクラ-ク博士がどれだけ英才を育てたかったのかとしみじみと感じられてなりません。